三国志大戦製作の経緯

漫画雑誌アブラカダブラに、平沢たかゆきによる「三国志大戦を創った男達」が書かれており、制作の経緯については以下のとおりである。

とあるゲームセンターで、大原徹(ディレクター)はワールドクラブチャンピオンフットボール(WCCF)を西山恭弘(プロデューサー)とともにプレイしていた。WCCFは、カードを選手に見立てたサッカーゲームであるが、大原は選手となるカードをあまり動かさないということに物足りなさを感じ、カードを動かしてプレイするシミュレーションゲームを考えた。それとともに、ゲームの題材として三国志を当てはめ、近くにあったサクラ大戦のポスターを見て、ゲームのタイトルを「三国志大戦」と名づけた。

企画会議では、三国志のゲームとしての国取りや内政の必要性を問われたが、大原は「リアルタイムの対人戦(キャラ個人対キャラ個人)」を三国志大戦のテーマとすることを発表。2003年に正式に開発が始まった。なお、開発初めの概要説明の時、大原はスタッフとして集まった30名のメンバーに「鈴木裕の制作したセガの代表作、バーチャファイターの打倒を狙おう」をもう一つのテーマとして発表した。ちなみに、説明後、廊下を歩いていた大原と西山は、鈴木に会いプレッシャーをかけられる。

開発当初は、真上から見たゲーム画面であったため迫力に欠け、かといってキャラクターをアップ画面で表示すると、フィールド全体を見渡せないためシミュレーションゲームとして成り立たないという、どっちつかずの状況に陥っていた。

しばらく開発が続き、特に強いストレスを溜め込んだ大原の息抜きのため、西山は近くに土手とグラウンドのある草木の生えた場所に大原を誘った。その場所では、その日偶然にも、高校生の体育祭の練習を行うことになっており、大原と西山は騎馬戦を見学することになった。手前からでは騎馬戦全体の様子が見えなかった二人は、土手の上から眺めてみた。そうすると、騎馬戦を行っていたグラウンドが迫力のある戦場に変わったようにみえた。

そこから大原は、「高台から見た視点」で三国志大戦の画面を作成すれば前述した問題を解決できることをひらめき、それに合わせてミニマップを追加。次々に良い発想が浮かんでいった。

三国志大戦の完成が間近に控えた時、大原は一つ不安があった。プレイヤーが面白さを理解するかどうか、である。2004年を迎えた冬のとある日、スタッフの一時休息を提案した西山に促され、大原はスタッフを定時に上がらせることを許可。その日の夜、ゲームの資料をセガに忘れてきた大原は、急いでセガに戻り、開発部に明かりがついていることに気づく。大原が開発部を見に行くとスタッフが三国志大戦のテストプレイに熱中している姿が目に入り、大原は三国志大戦が大ヒットすることを確信した。

2004年10月に三国志大戦は完成し、その後行われたロケテストでも好評を博した。


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